それでは、まとめに入りたいと思います。
人間は、基本的に、誰もが幸せを求めています。
幸せというのは、人によって違うものですが、幸せを感じられるためには、社会の秩序が一定以上に保たれている必要があります。
例えば、戦争があったり、犯罪が多かったり、いじめが多かったり、自殺者がたくさんいるようなストレスが多い社会であったり、病死・事故死が多かったり、生活に必要なものがいきわたっていなかったりしたら、幸せを感じることは難しいです。
そのような社会であったら、常に、不安やストレスを感じ、精神的に落ち着くことができないため、幸せを感じることは難しいのです。
このことから分かるように、人間が幸せを感じられるためには、社会の秩序が一定以上に保たれている必要があります。
それは、人間が幸せを感じる上で、根本的に重要なことなのです。
このような考えから、やまと式道徳教育では、「社会は、『全ての人が幸せを感じられる状態』であるべきである」と考えています。
具体的には、「戦争がない」「犯罪が少ない」「いじめが少ない」「自殺者が少ない」「病死、事故死が少ない」「交通事故が少ない」「失業率が低い」「貧困率が低い」「衣、食、住等の、生活に必要なものが行き渡っている」「子供からお年寄りまで、全ての人が、健康に安全に暮らせる環境である」「教育が行き届いている」、このような状態であるべきであると考えています。
そして、この「社会は、『全ての人が幸せを感じられる状態』であるべきである」という考えをもとに、道徳を定義し、道徳に関することを導き出しています。
さて、このようなことから、やまと式道徳教育では、道徳を、「『全ての人が幸せを感じられる社会』を維持するための規律(規則)」と定義しています。
また、「『全ての人が幸せを感じられる社会』を実現させる生き方、維持する生き方」を、「道徳的生き方」と考えています。
そして、「全ての人が幸せを感じられる社会」を維持して生きるために必要となる、正直、誠実、節度、節制、勇気、強い意志、自主、向上心、克己、親切、思いやり、感謝、礼儀、友情、信頼、相互理解、寛容、公平、公正、社会正義、勤労、公共の精神、家族愛、公徳心、自然愛護等の資質を、「道徳的資質」と捉えています。
また、やまと式道徳教育の目的は、「『全ての人が幸せを感じられる社会を実現させる生き方、維持する生き方ができる人』を育てること」です。
そして、やまと式道徳教育を学ぶ人の目的は、「『全ての人が幸せを感じられる社会を実現させる生き方、維持する生き方』ができるようになること」です。
また、やまと式道徳教育では、「『全ての人が幸せを感じられる社会』の秩序を維持するために、『道徳的生き方』をする必要がある」と考えます。
人間が幸せを感じられるためには、社会の秩序が一定以上に保たれている必要があります。
そして、社会の秩序を一定以上に保つためには、全ての人が、そのための「道徳的生き方」をする必要があるのです。
また、やまと式道徳教育における、「正しいこと(いいこと)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『全ての人が幸せを感じられる社会』を実現させる行為、維持する行為」のことです。
「間違っていること(悪いこと)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『全ての人が幸せを感じられる社会』を乱す行為」のことです。
そして、それらを見分けるための「判断の基準」は、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『全ての人が幸せを感じられる社会を実現させること、維持すること』につながっているのか、それとも、最終的に『全ての人が幸せを感じられる社会を乱すこと』につながっているのか」という「観点」のことです。
また、やまと式道徳教育における理想的な人物とは、「『全ての人が幸せを感じられる社会』の実現に、大きく貢献した人物」です。
歴史上の人物で言うと、キリスト、釈迦、孔子、日本人では、上杉鷹山、二宮金次郎、近代では、ガンジー、マーティン・ルーサー・キング牧師等が、それに当てはまります。
さて、このような「道徳的生き方」は、とても価値のある生き方だと言えます。
それは、「全ての人の幸せにつながる生き方」「全ての人の幸せに貢献する生き方」という意味で、とても価値のある生き方なのです。
「『全ての人が幸せを感じられる社会』を実現させる生き方、維持する生き方」と言うと、とても難しく思うかもしれません。
ですが、誰にでもできることは、たくさんあります。
たくさんあるだけでなく、家族、友人、クラスメート等の、普段接している人に対して行なう、「思いやりを持って接する」「気遣いをする」「困っているときは助ける」といった、身近な「道徳的行為」は、とても価値のあること、とても重要なことだと言えます。
なぜなら、世界の全ての人が、普段接している人に対して、常に、そのように接していれば、社会の状態は、今よりも、確実に良くなるからです。
私たちは、全員が、「社会を構成する一員」であり、「社会を支える重要な存在」であり、「社会に影響を与えている存在」です。
また、全ての人は、本質的には、協力関係、仲間関係にあります。
私たちは、このような存在として、どのような生き方をするべきなのでしょうか?
私たちは、このような存在として、常に、当然のこととして、社会全体のことを考え、周りの人に対して思いやりを持って接し、気遣いをし、困っているときは助けるといった、「道徳的生き方」をするべきだと言えます。
私たちは、常に、そのような「道徳的生き方」をするべきなのです。