道徳革命で、みんなを幸せに。

常に、あらゆる「恩恵」に、心から「感謝」している

「やまと式道徳教育を実践している人」は、常に、あらゆる「恩恵」に心から「感謝」しています。


世界の全ての人は、「自然」や様々な「人」や様々な「全体(集団・組織)」から、様々な「恩恵」を、「常に」、また「すでに」受けています。


世の中には、「自分は自分の力で生きている」と錯覚している人がいますが、人間は、「自然」や様々な「人」や様々な「全体」から、様々な「恩恵」を受けなければ、生きていくことはできません。


赤ちゃんのときは、自分で食事をすることも着替えることもできないので、全てのことを周りの人にしてもらう必要があります。

人間が成長するためには、様々な人に、様々なことを教えてもらう必要があります。

人間が生きていくためには、「家族」「国家」等のサポートが不可欠です。

ほとんどの人は、収入を得るために「会社」を必要としています。

「食料」「衣料」「生活用品」「工業製品」「建造物」等は、基本的に、自分以外の誰かがつくってくれています。

人間の「食料」は、全て「生物」からつくられていますし、生きるために必要となる「酸素」も「植物」によってつくりだされています。


これらのことから分かるように、人間は、「自然」や様々な「人」や様々な「全体」から、様々な「恩恵」を受けなければ、生きていくことはできないのです。

ですから、このことから、世界の全ての人は、「自然」や様々な「人」や様々な「全体」から、様々な「恩恵」を、「常に」、また「すでに」受けていると言えるのです。


さて、世界の全ての人は、「自然」や様々な「人」や様々な「全体」から、様々な「恩恵」を、「常に」、また「すでに」受けているので、「やまと式道徳教育を実践している人」は、常に、当然のこととして、あらゆる「恩恵」に、心から「感謝」しています。


「やまと式道徳教育を実践している人」は、「自分を育ててくれた両親」「自分を成長させてくれた人」「お世話になった人」に、常に、心から「感謝」しています。

「心の支えになってくれる人」「困ったときに助けてくれる人」にも、常に、心から「感謝」しています。

「普段自分が関わっている『家族』『学校』『会社』『国家』等の『全体』をつくってくれた人」「『それらを維持するための働きかけ』をしてくれている人」、また、「過去に、その『働きかけ』をしてくれた全ての人」にも、常に、心から「感謝」しています。

「自然」そのものにも、「自然界に存在する全ての生物」にも、常に、心から「感謝」しています。


また、直接ではなく、間接的に「恩恵」を受けているものにも、常に、心から「感謝」しています。

「『世のため』『人のため』になることを一生懸命行なっている人」
「どのような状況にあっても、決して『共存共栄の世の中』を乱さないで生きている人」
「『共存共栄の世の中を維持、つくりだすために必要な情報』を必死に伝えている人」
「『共存共栄の世の中を維持、つくりだして生きる人』を育てている人」
「自ら率先して『家族』をまとめている人」
「どのようなことがあっても、決して『共存共栄の世の中』を乱さないで活動している会社」
「『共存共栄の世の中』を支えている物質や生物」

「やまと式道徳教育を実践している人」は、このような、間接的に「恩恵」を受けているものに対しても、常に、心から「感謝」しているのです。


また、人は誰でも、「自分が『恩恵』を受けていること」に気付かなかったり、受けた「恩恵」を忘れたりするので、「やまと式道徳教育を実践している人」は、気付いていなくても様々な「恩恵」を受けていることを考え、常に意識して、様々な「恩恵」に、心から「感謝」しています。

たとえ目立たなくても、人知れず「『共存共栄の世の中』を維持するための働きかけ」をしている人がいることを考え、常に意識して、心から「感謝」しています。

経済、学問、スポーツ、芸能等、様々な分野において「成功する人」がいますが、「成功しなかった人」の働きや存在も、業界の発展や存続に、大きく貢献している側面があるので、「成功しなかった人」にも、常に意識して、心から「感謝」しています。


人間の「食物」は、全て生物からつくられるので、「食物を食べる」ということは「様々な生物を殺す」ということですし、家を建てるとき、道路を造るとき、トンネルを掘るとき等にも、多くの生物を殺さなければ、それらを行なうことはできません。

このように、人間の生活は、多くの生物の「犠牲」の上に成り立っているので、人間のために「犠牲」になっている全ての生物にも、常に意識して、心から「感謝」しています。

また、当然のように存在している「自然」「地球」「太陽」「宇宙」ですが、人間は、それらがなければ生きられないので、それらの「恩恵」にも、常に意識して、心から「感謝」しています。


このように、「やまと式道徳教育を実践している人」は、「気付いていなくても様々な『恩恵』を受けていること」を考え、常に意識して、様々な「恩恵」に、心から「感謝」しているのです。


さて、「やまと式道徳教育を実践している人」は、常に、あらゆる「恩恵」に、心から「感謝」しているのですが、そうしているのには、別の理由もあります。



「やまと式道徳教育を実践している人」は、常に率先して、普段自分が関わっている「全体」をまとめていますが、そのための「意欲」を維持し続けるのは簡単ではありません。

特に、肉体的、精神的に疲れているときには、その「意欲」は薄れてしまいます。

ですが、自分が、様々な「恩恵」を「常に」、また「すでに」受けていることを意識し、常に、あらゆる「恩恵」に、心から「感謝」していれば、少なからず、「自分も『恩恵』を受けるだけでなく、「社会」に貢献しなければならない」という気持ちになるので、そのための「意欲」が湧いてきます。

つまり、「やまと式道徳教育を実践している人」は、常に率先して、普段自分が関わっている「全体」をまとめるための「意欲」を維持するためにも、常に、あらゆる「恩恵」に心から「感謝」しているのです。


「感謝」は、気が向いたときにだけ、自分に都合のいい人にだけするものではありません。

嫌なことや納得できないことがあっても、嫌いな人に対してでも、受けた「恩恵」に対しては、必ずするのが「感謝」です。


また、「感謝」は、人に求めるものではありません。

人は、「感謝の気持ち」があっても、それを態度で示さないことがあります。

そのようなときに、相手に無理矢理「感謝」させようとすると、それが原因で、「人間関係」が悪くなることがあります。

ですから、「やまと式道徳教育を実践している人」は、人に「感謝」を求めることなく、ひたすら自分が「感謝」しています。

「人にかけた『恩』は忘れ、自分が受けた『恩』は忘れない」というのが基本で、常に、自分が「感謝」しているのです。


このように、「やまと式道徳教育を実践している人」は、常に、あらゆる「恩恵」に、心から「感謝」しているのです。