道徳革命で、みんなを幸せに。

誰と接するときでも、常に、相手を「尊重」する

※ここで言う「相手を尊重する」とは、「相手を『価値ある存在』『尊い存在』として認め、大切にする」という意味です。



「『共存共栄の世の中を実現させ、維持する』ための人間関係のあり方(人間関係のルール)」の「根本」は、「誰と接するときでも、常に、相手を『尊重』すること」です。


人間は「社会的生き物」なので、全ての人は、「社会」がなければ生きられません。全ての人は、「社会」に依存して生きているということです。


この「社会」ですが、「社会」は、全ての人が行なっている様々な活動によって成り立っています。

全ての人が行なっている「経済活動」「社会活動」「文化活動」「ボランティア活動」「地域貢献」等によって、「社会」は成り立っています。

「国に税金を納めること」「子供を産み、しっかり育てること」「近所のゴミ拾い」「地域の見守り・声掛け」、このようなことも、「社会」を成り立たせることにつながっています。

また、特別なことはしなくても、「社会の秩序」を乱さないで生きていれば、それも「社会」を成り立たせることにつながっています。


「社会」は、このような、全ての人が行なっている様々な活動によって、成り立っているのです。

そして、全ての人は、その「社会」に依存して生きているのです。


ですから、全ての人は、「社会を成り立たせる活動」をしている「価値ある存在」「尊い存在」だと言えます。

そして、このことから、全ての人は、誰と接するときでも、相手を「社会を成り立たせる活動」をしている「価値ある存在」「尊い存在」と考え、常に、当然のこととして「尊重」するべきだと言えます。


また、別の理由からも、全ての人は、誰と接するときでも、常に、相手を「尊重」するべきだと言えます。


やまと式道徳教育では、「世界は、『全ての人が幸せを感じられる状態』であるべきである」と考えますが、人間が「幸せ」を感じる上で、「自分の『尊厳』が保たれていること(自分が『価値ある存在』『尊い存在』として認められ、大切にされていること)」は、とても重要です。

そのため、「『全ての人が幸せを感じられる世界』を実現させ、維持する」ためには、世界の全ての人の「尊厳」を保つ必要があります。

そして、そのためには、世界の全ての人が、誰と接するときでも、常に、相手を「尊重」する(「価値ある存在」「尊い存在」として認め、大切にする)必要があります。


世界の全ての人が、常に、相手を「軽視」し、「いい加減」に接していたら、世界の全ての人の「人間関係」が悪くなり、全ての人が対立し、全ての人の「尊厳」が失われます。

逆に、世界の全ての人が、誰と接するときでも、常に、相手を「尊重」していれば、世界の全ての人の「尊厳」は、常に保たれます。


人間は、それぞれが「自分の考え」を持った「独立した個人」なので、「意見」や「考え」が合わないことがありますし、ときには対立することもあります。

ですが、どのようなことがあっても「相手を尊重すること」を忘れなければ、根本から対立することはありません。

世界の全ての人が、誰と接するときでも、常に、相手を「尊重」していれば、世界の全ての人が仲良くなることはないとしても、世界の全ての人が根本から対立することはないのです。


このようなことからも、全ての人は、誰と接するときでも、常に、相手を「尊重」するべきだと言えるのです。


さて、これらのことから、「『共存共栄の世の中を実現させ、維持する』ための人間関係のあり方(人間関係のルール)」の「根本」は、「誰と接するときでも、常に、相手を『尊重』すること」だと言えるのです。


世界の全ての人は、「社会を成り立たせる活動」をしている「価値ある存在」「尊い存在」です。

全ての人には、「考えが合わない人」「利害が対立する人」、全く接点のない「他人」もいますが、そういう人を含む全ての人が、「社会を成り立たせる活動」をしている「価値ある存在」「尊い存在」なのです。


また、「共存共栄の世の中(全ての人が『幸せ』を感じられる世界)を実現させ、維持する」ためには、世界の全ての人が、誰と接するときでも、常に、相手を「尊重」する必要があるのです。


ですから、「『共存共栄の世の中を実現させ、維持する』ための人間関係のあり方(人間関係のルール)」の「根本」は、「誰と接するときでも、常に、相手を『尊重』すること」だと言えるのです。