道徳革命で、みんなを幸せに。

「年長者」は「年少者」をいたわり、導く 「年少者」は「年長者」に素直に従う

※ここで言う「いたわる」とは、「弱い立場にある人」等に、「同情の気持ちを持って親切に接する」「気を配って大切に世話をする」という意味です。



「共存共栄の世の中を実現させ、維持する」ためには、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「人間関係のルール」が必要です。


世界の全ての人には、自分より「年上の人(年長者)」と「年下の人(年少者)」がいますが、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあります。

例えば、子供の頃は、基本的には「年長者」の方が、「年少者」より「体力」と「筋力」があります。

逆に、年をとると「体力」と「筋力」が衰えるので、「年長者」は、肉体的に「年少者」に劣るようになります。


また、基本的には「年長者」の方が、「年少者」より人生経験があるので、「知恵」と「賢さ」があります。

逆に、「年少者」は人生経験が少ないので、失敗の経験も少なく、いい意味で「無知」です。そのため、「年長者」より、失敗を恐れず「思い切った行動」「積極的な行動」をすることができます。


また、基本的には「年長者」の方が、「年少者」より、様々な「集団・組織」において立場が上です。

また、基本的には「若い人」の方が、「年配の人」より、新しい時代に適応しています。


このように、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあるので、「共存共栄の世の中(全ての人が『幸せ』を感じられる世界)」を実現させ、維持するためには、それぞれの違いをカバーし、それぞれが「幸せ」になれるようにするための「人間関係のルール」が必要になります。


世の中には「平等」という考えがありますが、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあるので、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、「年長者」も「年少者」も「幸せ」になれなくなります。

例えば、子供の頃は、「年長者」の方が「年少者」より「体力」と「筋力」があるので、「年長者」と「年少者」が「平等」の関係で争ったら、「年長者」が一方的に勝ってしまいます。

逆に、年をとったら「体力」と「筋力」が衰えるので、「年長者」と「年少者」が「平等」の関係で争ったら、「年少者」が一方的に勝ってしまいます。


また、基本的には、「年長者」の方が「年少者」より人生経験があり、「知恵」と「賢さ」があるので、「年少」であることが考慮されずに、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、「年長者」だけが「いい思い」をし、「年少者」は虐げられてしまいます。


また、基本的には、「若い人」の方が「年配の人」より新しい時代に適応しているので、「年長」であることが考慮されずに、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、「年長者」は「邪魔者扱い」されてしまいます。


このように、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあるので、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、双方ともに「幸せ」になれなくなるのです。


ですから、「共存共栄の世の中(全ての人が『幸せ』を感じられる世界)を実現させ、維持する」ためには、「年長者」と「年少者」の違いをカバーし、双方が「幸せ」になれるようにするための「人間関係のルール」が必要になるのです。


さて、「共存共栄の世の中を実現させ、維持する」ためには、「年長者」と「年少者」の双方を「幸せ」にするための「人間関係のルール」が必要になるのですが、その「人間関係のルール」が、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」というルールです。


世界の全ての人が、常に、このルールに従っていれば、「年長者」と「年少者」が争うことはありません。また、争ったとしても、このルールに従わせれば、それを収めることができます。


例えば、子育てにおいて、兄と弟が同時にトイレに行きたくなっても、トイレが一つしかなかったり、それぞれが見たいテレビ番組があっても、テレビが一台しかなかったりする状況で、「『年長者』と『年少者』は平等である」というルールに従っていたら、それぞれが、「自分には、先にトイレに行く権利がある」「自分には、見たい番組を見る権利がある」と主張し、争うことになります。

ですが、それぞれが、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」というルールに従っていれば、兄は弟をいたわり、導かなければなりませんし、弟は兄に素直に従わなければならないので、互いに譲り合って、争うことはありません。


また、もし親等が、「兄弟が譲り合って決まらない」のを見たら、もしくは、「兄弟が争って決まらない」のを見たら、まず、兄を先にトイレに行かせます。

その後で、兄に対して、「あなたは兄なのだから、我慢できるときは、弟に先に行かせてあげなさい(弟をいたわり、導きなさい)」と言います。

また、弟に対しては、「あなたは弟なのだから、兄に素直に従いなさい」と言います。

また、兄には、「外で『年長者』と接するときは、自分が『年下』なのだから、その人に素直に従いなさい」と言い、弟には、「外で『年少者』と接するときは、自分が『年上』なのだから、その人をいたわり、導きなさい」と言います。


「一つしかないもの」を二人が「使いたい」と言って争っているときに、それを収めるためには、それを「順番に使わせる」しかありませんが、「順番に使わせる」ためには、「主張すること」を教えるのではなく、「譲り合うこと」を教える必要があります。

つまり、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」というような、「それぞれに『譲ること』を求める公平なルール」を教える必要があります。


このルールは、家庭内では「年長者の立場」でも、社会生活においては「年少者の立場」になることがありますし、その逆もあります。

つまり、これは、誰もが社会生活において、「年長者の立場」と「年少者の立場」になる「公平なルール」なのです。


このような「公平なルール」を教え、従わせることによって、「年長者」と「年少者」が争ったとしても、それを収めることができるのです。

兄と弟が争ったとしても、このルールを教え、それに従わせれば、「双方を『幸せ』にすること(今回は兄が先に使っても、次回は弟が先に使えるようにすること等)」ができるのです。


また、世界の全ての人が、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」というルールに従っていれば、世界の全ての「年少者」は、より「幸せ」になれます。

「年長者」は「年少者」より長く生きているので、基本的に、「年少者」より「知識」と「経験」があります。

ですから、世界の全ての「年長者」が、自分が持っている「知識」「経験」「成功や失敗から学んだこと」等を「年少者」に教え、より良い人生を歩めるように導けば、「年少者」は、より多くのことを、より早く学ぶことができますし、人生における「間違い」や「失敗」を減らすこともできます。

ですから、世界の全ての人が、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」というルールに従っていれば、世界の全ての「年少者」は、より「幸せ」になれるのです。


また、世界の全ての人が、「『年少者』は『年長者』に素直に従う」というルールに従っていれば、世界の全ての「年長者」は、より「幸せ」になれます。

全ての人に当てはまるわけではありませんが、基本的に、「年長者」は「年少者」に、あまり「馴れ馴れしく」されるといい気分はしません。

逆に、「年長者」として立ててもらうと、少なからず「うれしく」思います。

ですから、世界の全ての「年少者」が、「年長者」と、どれだけ親しくなっても、立てるべきところは立て、素直に従っていれば、世界の全ての「年長者」は、より「幸せ」になれるのです。


もし、「年長者」が横柄であったり「いい加減」であったりするなら、その人とは距離を置けばいいのです。

「年長者に素直に従う」というのは、「自分の『信念』を曲げてまで従う」ということではなく、あくまで、「『共存共栄の世の中(全ての人が『幸せ』を感じられる世界)を実現させ、維持するために素直に従う」ということです。

ですから、「年長者」に対してでも、「言うべきこと」は、はっきり言わなければなりませんし、「反対すべきこと」は、あくまで「反対」しなければなりませんし、「断わるべきこと」は、流されずに、しっかり断わらなければなりません。

世界の全ての「年少者」が、このような点を押さえた上で、「年長者」に素直に従っていれば、世界の全ての「年長者」は、より「幸せ」になれますし、「年少者」も、特別「嫌な思い」をしないでいられるのです。


さて、このように、「共存共栄の世の中を実現させ、維持する」ためには、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「人間関係のルール」が必要になるのです。

全ての人は、普段の生活の中で、「年長者(年上の人)」と「年少者(年下の人)」と接しています。

全ての人は、「年長者」と「年少者」の中で、生活しているのです。

ですから、「共存共栄の世の中を実現させ、維持する」ためには、「年長者」と「年少者」の人間関係を「いい状態(互いの『尊厳』が保たれている状態)」にするための「人間関係のルール」が必要になるのです。

つまり、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「人間関係のルール」が必要になるのです。