やまと式道徳教育における、「正しいこと(いいこと)」「間違っていること(悪いこと)」、また、それを見分けるための「判断の基準」は、次の通りです。
「正しいこと(いいこと)」=直接的、間接的にかかわらず、「共存共栄の世の中」を実現させる行為、維持する行為
「間違っていること(悪いこと)」=直接的、間接的にかかわらず、「共存共栄の世の中」を乱す行為
「正しいこと(いいこと)」と「間違っていること(悪いこと)」を見分けるための「判断の基準」=「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を実現させること、維持すること』につながっているのか、それとも、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっているのか」という観点
解説
やまと式道徳教育では、「世界は『全ての人が幸せを感じられる状態』であるべきである」と考えています。
そして、そのような世界を「共存共栄の世の中」としています。
そのため、やまと式道徳教育における「正しいこと(いいこと)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中』を実現させる行為、維持する行為」のことになります。
また、「間違っていること(悪いこと)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中』を乱す行為」のことになります。
例えば、「物を盗むこと」や「人を殺すこと」は、誰でも「間違っていること(悪いこと)」だと考えますが、やまと式道徳教育においては、その理由は、「それらは、共存共栄の世の中を乱す行為だから」です。
同じように、「自分勝手な行動」「わがままな生き方」「人を騙すこと」「約束を破ること」「人に悪い影響を与えること」「いじめ」「パワハラ」等も、「共存共栄の世の中を乱す行為」だから「間違っていること(悪いこと)」になります。
逆に、「思いやりを持って人に接すること」「困っている人を助けること」「率先して社会に貢献すること」「子供をしっかり育てること」「社会全体のことを考えて行動すること」等は、「正しいこと(いいこと)」です。
それらの行為は、少なからず、「『共存共栄の世の中』を実現させること、維持すること」につながっているので、「正しいこと(いいこと)」なのです。
このように、やまと式道徳教育においては、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中』を実現させる行為、維持する行為」が「正しいこと(いいこと)」です。
そして、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中』を乱す行為」が「間違っていること(悪いこと)」なのです。
さて、やまと式道徳教育においては、「正しいこと(いいこと)」と「間違っていること(悪いこと)」が明確なので、それらを見分けるための「判断の基準」も明確です。
その「判断の基準」とは、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を実現させること、維持すること』につながっているのか、それとも、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっているのか」という「観点」のことです。
この「観点」を「判断の基準」にして考えれば、「正しいこと(いいこと)」と「間違っていること(悪いこと)」を見分けることができます。
「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を実現させること、維持すること』につながっている」なら、それは「正しいこと(いいこと)」です。
逆に、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっている」なら、それは、「間違っていること(悪いこと)」です。
たとえ、一般的には「普通」「常識」と言われている行為でも、周りのみんながやっている行動でも、最終的に「共存共栄の世の中を乱すこと」につながっているなら、それは、「間違っていること(悪いこと)」です。
逆に、一見「非常識」と思われる行為、変わっている行為、誰一人やっていない行動でも、最終的に「『共存共栄の世の中』を実現させること、維持すること」につながっているなら、それは、「正しいこと(いいこと)」なのです。
このように、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を実現させること、維持すること』につながっているのか、それとも、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっているのか」という「観点」を「判断の基準」にして考えれば、「正しいこと(いいこと)」と「間違っていること(悪いこと)」を見分けることができるのです。
さて、ほとんどの人は、普段の生活の中で、「正しいこと」と「間違っていること」を見分け、「間違っていること」をしないようにしていますが、何が「正しいこと」で何が「間違っていること」か、明確には理解していないと思います。
ですが、それらを明確に理解していなかったら、「正しいこと」だと思ってやったことが、実は「間違っていること」であったり、気付かないうちに「間違っていること」をしたりすることになります。
また、自分の子供、後輩、部下等に、「正しいこと」をする必要性や、「間違っていること」をしてはいけない理由を、明確に説明することができません。
逆に、「正しいこと」と「間違っていること」を明確に理解していれば、一生、「間違っていること」をしないで生きていくことができますし、誰かが「間違っていること」をして、それを注意するときに、「それをやってはいけない理由」を明確に説明することもできます。
「それは、『共存共栄の世の中』を乱す行為だからいけません」
「それをすると、『共存共栄の世の中』が乱れ、多くの人が『不幸』になるからやめなさい」
このように言うことができるのです。