「やまと式道徳教育を実践している人」は、「優しさ」と「厳しさ」を持っています。
やまと式道徳教育では、「世界は『全ての人が幸せを感じられる状態』であるべきである」と考え、そのような世界を「共存共栄の世の中」としています。
そして、それを実現させ、維持することを目指しています。
ですから、「やまと式道徳教育を実践している人」は、「自分の幸せ」だけでなく、「自分以外の全ての人の幸せ」も考える「優しさ」を持っています。
「困っている人を助ける優しさ」「全ての人に対する思いやり」「弱者救済の精神」、このような、「自分以外の全ての人の幸せ」も考える「優しさ」を持っているのです。
また、「やまと式道徳教育を実践している人」は、「普段自分が関わっている『全体』を『まとめる』ために必要である」という理由からも、「優しさ」を持っています。
誰に対しても、常に「優しく」接するのは簡単ではありませんが、「全体をまとめる」ためには、「優しさ」が必要です。
相手に「優しく」接したからといって、その人に「優しく」接してもらえるとは限りません。それどころか、「優しく」接した相手に「冷たく」されることもあります。
また、自分が疲れているとき、悩んでいるとき、困っているとき等には、自分のことで精一杯になり、周囲の人に「優しく」接するのが難しくなります。
ですが、「優しさ」を失い、「自分のこと」だけを考えて行動したり、周囲の人に「冷たく」接したりしていたら、「人間関係」は確実に悪くなります。
また、「優しさ」が全くなかったら、周囲の人は、その人に接しづらいので、コミュニケーションが円滑に行なわれなくなり、必要な「情報」を得ることや伝えることができなくなります。
このことから分かるように、「優しさ」を持っていなかったら、「全体をまとめること」ができなくなるのです。
ですから、「やまと式道徳教育を実践している人」は、「普段自分が関わっている『全体』を『まとめる』ために必要である」という理由からも、「優しさ」を持っているのです。
さて、「やまと式道徳教育を実践している人」は、「優しさ」を持っているのですが、「優しさ」だけでなく「厳しさ」も持っています。
「全体をまとめる」ためには、「全体をまとめるために必要なこと」は、必ず行なう必要があります。
やりたくなくても「やる必要がある」なら、「しっかりやる」必要がありますし、言いづらくても「言う必要がある」なら、「はっきり言う」必要があります。
「行なう必要がある」ということは、「その行動が必要である」「必ず行なわなければならない」ということですから、「全体をまとめる」ために必要なら、どのような理由があろうと、必ず行なわなければならないのです。
ですから、「全体をまとめる」ためには、「厳しさ」が必要になるのです。
「『行なうべきこと』は必ず行なう厳しさ」「『ダメなものはダメ』とはっきり言う厳しさ」「『必要なこと』は妥協しないで徹底的に行なう厳しさ」、つまり、「自分に対する厳しさ」「周囲の人に対する厳しさ」が必要になるのです。
「厳しく」なるべきところで、「心の弱さ」「同情心」「甘さ」等から、自分に対しても、周囲の人に対しても「厳しく」なれないようでは、「全体をまとめること」などできません。
「厳しさ」がなかったら、「必要なこと」を確実に行なうことができないので、「全体をまとめること」はできないのです。
ですから、「やまと式道徳教育を実践している人」は、「厳しさ」も持っているのです。
さて、このように、「やまと式道徳教育を実践している人」は、「優しさ」と「厳しさ」を持っているのです。
「優しさ」がなければ、「人間関係」が悪くなりますし、周囲の人は、その人に接しづらいので、「全体をまとめること」ができなくなります。
また、「厳しさ」がなければ、「必要なこと」を確実に行なうことができないので、やはり、「全体をまとめること」ができなくなります。
ですから、「やまと式道徳教育を実践している人」は、「優しさ」と「厳しさ」を持っているのです。
「普段自分が関わっている『全体』をまとめる」ために、「優しさ」と「厳しさ」を持っているのです。